安藤由香里 Droits des l'homme

海外インターシップ

 他のページへ02 03 04 05

GLOCOL海外インターンシップ(2011年度~2015年度)

※グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)は2016年3月末で終了しました。 MAP:海外インターンシップ

派遣マップ 海外体験型教育企画オフィス(FIELDO)では、国際機関や国際NGO等における1~6ヵ月の海外インターンシップ派遣支援を行いました。 海外インターンシップ(1カ月以上、大学院生)、海外プレ・インターンシップ(1ヵ月未満、学部生・大学院生)を通して、学生が自分の専門性を土台にしながら社会の諸問題に実践的に取り組み、将来のキャリアをデザインできる力を養いました。  

 

GLOCOL海外インターンシップ 派遣先リスト(国別)

 

アメリカ
 
CIEE アメリカ・ボランティア(日本語クラスサポート) 2013年2月25日~3月22日 所属:外国語学部外国語学科英語専攻 海外プレ・インターンシップ助成

修先:CIEE アメリカ・ボランティア(日本語クラスサポート)(アメリカ) 研修期間:2013年2月25日~3月22日

報告者:平野 あかり(外国語学部外国語学科英語専攻)

きっかけ・準備 CIEEのホームページで海外ボランティアプログラムの参加者を募集していることを知り、その内容が私にとって非常に魅力的だったので応募しました。そのなかでもアメリカボランティアには、私が参加した日本語クラスサポート、国際支援オフィス、シニア福祉の3つの内容があり、1つを選択して週20~30時間程度、2週間~4週間ボランティア活動をします。私の場合は4週間で計100時間程度活動に参加しました。私は日本でも小学校での日本語指導のボランティアを行っており、海外でもそのような活動をしてみたいと考えていたので、現地小学校での日本語クラスサポートを選択しました。日本でのボランティアは、外国籍児童を多く抱える小学校にて、彼らのための放課後教室のお手伝いをする、といったものでした。言語の指導、というよりは各教科の指導の中で日本語も教える、といった形ではありましたが、そこで彼らが日本語を学ぶ上で抱える課題について、現状を踏まえて考察する契機となりました。国内での言語教育の指導に携わることで第二言語としての日本語教育における課題の多さに気づき、さらに海外における日本語教育がどのようにして行われているのかを知ることで言語教育の現状を比較し、よりよい言語教育について考察できることを目指し、このプログラムへの応募を決めました。 航空券の手配やESTA(VISAの代わり)の発行手続き、海外旅行保険などの加入などの他に、現地の小学校で授業をする際に自分がしたいことを考え、その際使うことのできそうなものを用意していると役に立ちます。最終週にいくつかのクラスで授業をさせてもらえる可能性があるので、折り紙やあやとりなど定番のもの、日本の小学校でよくやるゲームなどをリストアップしてもよいかもしれません。私は4~5年生のクラスで、擬態語のかるたを、幼稚園年長クラスで日本の絵本を日本語と英語で読み聞かせをしました。 他の二つのプログラムについてですが、オフィス系の仕事は比較的就業時間が短く、作業をすることが中心のようです。シニア福祉ではお年寄りとコミュニケーションをとる機会も多く、お年寄りの話を聞いてあげるなどして交流していたようです。小学校での活動がもっとも就業時間が長いようでしたが、コミュニケーションをとる機会は3つの中でも多いと思います。自分の目的にあった業務を選ぶことが重要ですが、活動の密度が高く、様々なことを経験できる小学校ボランティアは多くの人にとって充実したものになると思います。 実習内容 サンフランシスコの現地小学校にて、日本語指導の授業のサポートを行いました。先生方の業務のお手伝いや、授業中の児童のサポート、また、最終週にはいくつかのクラスで授業をさせて頂きました。教務室では、プリントのコピーや、教材の作成、コンピューターの準備などを、教室では、おもに質問に答えること、プリントの配布などをお手伝いさせて頂きました。この小学校では英語と日本語の両方での授業を行っており、ほとんどの授業は英語で、いくつかの授業が日本語で行われるようになっています。私たちが主に担当するのは日本人の先生による日本語の授業です。ほとんどの児童が日本人ではなく、もちろん日本にルーツのある児童もいますが、ほとんどは日本の文化や言語を異文化、第二言語として学ぶ児童ばかりです。御両親が子供に国際的な視野をもたせるために、異文化としての日本文化に触れさせようと通わせる場合も多いそうです。国籍は様々ですが、アフリカン・アメリカンの児童がやや多く、日本人は1割程度でした。 一日の流れとしては、8時半までに登校し、日本人の先生の教務室に行き、その日の担当の先生に授業がある時間と、お手伝いする事柄について伺い、授業が始まるまでは担当の先生に任された授業の準備などをし、授業時には先生について各クラスで子供のサポートやロールプレイ練習のお手本など授業のお手伝いをします。2時ごろには業務を終え、そのあとは自由です。毎日違う先生についてお手伝いをするので、日ごとに違う学年のクラスの様子を見ることができます。ひなまつりやオークション、スピーチコンテストなど様々なイベントも多く、準備に参加させて頂くこともありますし、スピーチコンテストは当日見学することもできます。私も一週目の土曜日に児童のスピーチコンテストを見に行ってきました。そこで大阪大学のサンフランシスコセンターの先生にもお会いして、この小学校の卒業生で現在サンフランシスコの教育委員会の方を紹介して頂きました。彼女は小学校で学ぶ前は日本語をまったく話すことのできない状態だったそうですがお会いしたときには流暢な日本語で話されていました。娘さんもきれいな発音で小学校の40周年についてのスピーチをしていらっしゃって、小学校が歴史ある学校であること、親が子供にも自分の通ったところに通わせたいと思うような学校であることであることを知りました。スピーチはどれも完成度が高く、時にユーモアも交えながら、聴衆を楽しませてくれるものばかりでした。長い文章を、自分の母語ではない言語で覚えることは大変だったと思いますが、毎日の練習の成果が短いスピーチに表れていました。 授業に関しては、どの授業も教室中が色や文字でいっぱいで、視覚的効果をうまく使って、楽しく学習効果が得られる工夫がなされていると感じました。また、全員を参加させる工夫が随所にみられ、それが児童に自ら発言させることを可能にしているのだと感じました。こちらの授業ではとにかく児童に発言させることで覚えさせることが多く、競争させることによる学習効果をうまく利用しているという印象でした。ドラゴン・ダラーという貨幣の代わりのような色画用紙を発言した児童に渡すのですが、その効果なのか、どのクラスでも児童が積極的に発言している印象でした。授業の内容は、「あいうえお」を歌にのせて歌ったり、五感を使ったゲームやロールプレイ、時にはひな人形を折り紙で作ったりおにぎりを作ったりと内容は様々です。おにぎり作りの際には単に日本の文化を体験するというだけではなく、それ以前にやった「甘い」「からい」など味覚に関する表現を、実際にそれぞれ「甘い」「辛い」「しおからい」具材とともに味わうことで、感覚と表現が結びつき、実用的な言語運用能力を身につけることができるように、ただ子供たちが楽しく学習できるだけではなく、ことばを効果的に覚えることができる工夫がなされていました。第二言語を母語の単語におきかえ、それによって説明するだけではなく、第二言語のことばのイメージを母語以外の五感によって確立することは子供にとってとても重要だと思います。ある程度の年になると、母語によって第二言語を学ぶより他に方法がなくなってきますが、彼らの場合はまだ第二言語を、母語を覚えるのと同じように学習できる可能性が残されていると思うので、五感を用いたことばの学習はとても効果的だと感じました。 様々な文化的背景をもつ児童が共生しているこの学校では、日本語等の学力の違いだけではなく、様々な差異に気を配る必要があります。遠足の際には、宗教上の理由で教会に入ることができない子が何人かおり、多文化が共生しているからこそ配慮しなければならないことが多く、個人に目を向けなければならない場面が多いと感じました。この学校には様々なルールが存在するのですが、それらもクラスに合わせて変えてあるので、個人だけではなくクラスの特徴にも目を向け、それに合わせる配慮がなされていると感じました。難しい家庭環境におかれている子供も多いそうですが、ほとんどの児童がルールを守り、かといって抑圧されているような雰囲気でもなくある程度自由に発言することのできる環境で、制限と自由度のバランスが非常によく保たれている印象を受けました。児童が楽しく参加できるように工夫されている一方で、私語などした際には厳しく指導されており、児童の積極性と自律心の両方を育てることが心掛けられている印象でした。悪いことをすると厳しく叱り、よいことをすると褒められるということは当たり前だと思っていましたが、ただそれだけで行動が改善されると考えていてはいけないと痛感しました。ペナルティーを課すること、何かご褒美となるようなものを目に見える形で提示することで行動が変わることもあるのだと改めて実感しました。 授業見学自体も勉強になりますが、児童の様子を見ていると考えさせられることも多くありました。日本から来たばかりで英語を話すことのできない児童に他の児童が英語を教えてあげている光景を目の当たりにすることがありましたが、これも一つの異文化交流であり、子供の視野を広げ、異文化を理解する一つの契機になるのではないかと感じました。そのようなことを目的として子供を入学させる親も少なくないので、国際的な人材を育成するという点では成功していると思います。先生が子供に教えることは当然重要ですが、周りの子供がもっとも影響を与えると思うので、彼らから自然な表現を互いに学び合うことで言語能力を高めることができると思います。 希望すれば通常の英語の授業を見学させて頂ける場合もあります。私も少し見学させて頂くことができました。その際には、日本の授業はとても分類化、体系化がきっちりされていますが、ここでは一つのことから連想されることを多く盛り込んだ授業になっていて、こちらの場合は分野の垣根がない分、ひとつの事象に対して包括的なものの見方ができるのではないかと思いました。必ずしも見学できるとは限りませんが、日本の小学校とは全く異なる授業の様子を見学することができるので機会があれば通常の授業を見学できないか聞いてみるとよいかもしれません。 実際、日本ではあまり考えられないようなことも多くありました。この学校では、他の子が授業を受けている時でも、本人の希望に合わせてバイオリンなどの楽器を習わせるなど授業の組み方が柔軟であり、何人かが楽器を手にしてクラスを抜けることができ、それは皆同じように同じことを行うことが重要視されている教育しか知らない私にとっては新鮮でした。また、驚いたことに授業を聞く態度の悪い児童は担任の先生がクラスから追い出すことができてしまうのです。他のクラスに移されている児童も何人かいて、先生に連れられてクラスを次々に移動する児童を見ていると少しかわいそうに思ってしまったのですが、日本とは全く異なる考え方、ルールがあることを知って、こどもだからといって無条件にすべての権利を保障されているわけではないのだと感じました。ただ、日本人の先生方は日本の文化や言語を教える上では他の先生とは異なるスタイルで授業をしていらっしゃるので、この学校はアメリカの文化と日本の文化が混ざりあう特殊な環境ではあると思います。幼稚園の頃から他の文化、他の言語を学んだ子供たちが何を思い、何を感じているのか、想像するしかない部分もありますが、このような教育を受けることで自分のよく知っている世界だけにとらわれない考え方をすることができるようになるのではないかと思います。 最終週の授業では、4~5年生の3クラスでは擬態語についての授業を行いました。はじめにそれぞれの擬態語(きらきら、ひらひらなど)に関連する絵の描いてあるカードを作成し、それを子供に見せながらおもに英語で説明し、それを発音し、ノートに書かせたあと小さめのカードを使ってかるた遊びをしました。キンダー(幼稚園年長)のクラスでは、日本の絵本をまず日本語で読み、英語に訳しながら読み聞かせをしました。4週間授業を見学させて頂いたため、クラスによってどのように授業をしたらよいのかがわかり、自分が授業をする上で大変参考になりました。最終週に授業ができる場合は、授業見学の際に、最終週で授業をすることを念頭に置いて各学年のレベルやクラスの様子などに気をつけて見学するとよいかもしれません。あやとりや折り紙、フルーツバスケットなどのゲームをしていた学生もいました。日本語のレベルが児童によって大きく異なるため、それぞれのクラス、個人に合わせて内容や授業の方法、ルールを変える必要性があると思います。実際に授業をさせてもらうことは、将来教育に携わる仕事に就くことを考えている人にとっても、そうでない人にとっても大変有益な経験になると思います。 振り返り 今回のプログラムに参加した動機は、このプログラムでの経験が私の将来に大きく影響を与え、自分自身のキャリアに生かすことができると考えたからです。私自身が第二言語として英語を学ぶ身であり、また教職科目の受講や実習を通して言語教育に興味を持ったことから、将来は大学の教員や高校・中学の教師等の言語・教育に携わる仕事に就くことを目指したいと考えていました。言語教育について学ぶ上では実際に言語・文化教育の現場に携わる体験をすることは不可欠であると考え、アメリカの小学校でのボランティアに参加することを決意しました。 第二言語習得の上で必要になる異文化理解教育について、どのようなサポートがなされているのか、また、母語や自国の文化の言語構造の、あるいは文化のもつ特徴や要因がどのように言語習得に影響するのかについて注意しながら見学・参加していると、ことばだけでなく文化もともに体験させることで興味をもって理解してもらい、ふたつの言語・文化を学ぶ上で必要なことを教えており、特定の言語話者にとって共通して理解しがたい概念が存在することから教え方に工夫がなされていることも知りました。海外における日本語教育がどのようにして行われているのかを知ることで国内外でのよりよい言語教育について考察する契機となり、今後の留学、大学院進学という目標に向けて理論的に言語教育について考える上でそれをサポートする経験になったと思います。 生活 アメリカといえば治安のよくないイメージがあると思いますが、実際に私が泊ったレジデンスのある場所があまり治安のいい場所ではなく、毎日のように多くのホームレスの人に出会っていたので、少し緊張しながら過ごしていました。到着後に現地のコーディネーターの方から、気をつけるべきことや場所についてオリエンテーションを受け、それを守っていたので、結局私自身は事件に巻き込まれることも、盗難にあうこともなく問題はなかったのですが、通学路なども、通ってはいけない道が多く、大通りなど決まった道を遠回りしていく必要がありました。また、一人で行動する際は6時までに帰宅するようにしていました。通学路やスーパー付近など毎日ホームレスを沢山見るので、特にレジデンス近くでは注意が必要だと思います。お金などを求められることもありますが、目を合わせないようにして通り過ぎれば大丈夫です。身の危険を感じた出来事といえば、知人がiphoneを取り上げられて殴られたという話を聞いた他、パトカーで連行される人を目撃したこと、その通りは殺人事件があったから通ってはいけない、と言われたこと、乗車した高速バスで殺人があったことを教わったことなど日本ではあまりないようなことが沢山あるので、危機管理に十分注意する必要があります。 食事に関しては、朝食はレジデンスのパンや紅茶・シリアルなど、昼食は近くの大型スーパーのようなところでサラダ・フルーツなどを調達する、またはレジデンスの朝食のパンを多めにもらって持参するなどしていました。夕食は外食や冷凍食品などで済ませましたが、余裕があればルームメイトなどに調理器具を借りて自炊することもできるかもしれません。レジデンス付近のジャパンタウンにはダイソーや日本の食品を売っているマーケットなどもありますので、値段は高いですが日本の製品や食品が恋しくなったときには便利です。 部屋は一人部屋と二人部屋を選ぶことができます。私は二人部屋だったのですが、ルームメイトは日本人とは限りません。韓国、フランス、サウジアラビアなど様々な国籍の人が滞在しています。ルームメイトが煙草を吸う、睡眠時間が合わない、うるさいなどトラブルがある部屋もあったようですが、そのような場合には管理人に相談すれば部屋を替えてもらうことも可能です。私の場合は韓国人のルームメイトで、日本人とそれほど感覚の違いがなく、大変過ごしやすく、彼女と英語で会話することも徐々に楽しめるようになっていました。もし価値観が全く違っても、サウジアラビア人のルームメイトがいる友人の話では、宗教や食生活も含め違うことばかりでとても興味深く、毎日発見の連続だと言っていました。一人で過ごすよりも、二人部屋のほうが会話をする機会も増え、出会いのきっかけにもなりますので私は二人部屋のほうをお勧めします。 ただ、このプログラムは参加費がやや高額なため、プログラム自体はとても魅力的なのですが、金銭面で厳しいものがありました。ですが今回、プレ・インターンシップ助成を頂けたことで、このような有意義なプログラムに4週間も参加させて頂くことができました。グローバルコラボレーションセンターの方々には出発前から帰国後まで大変お世話になり、心より感謝しております。ありがとうございました。現地でお世話になったサンフランシスコセンターの久保井先生や、小学校でお世話になった先生方、コーディネーターの方、お世話になったすべての方々に感謝しております。今回の貴重な経験を生かし、さらに長期の留学での研究に取り組みたいと思います。  
 
 
日米学生会議 2014年8月2日~24日 所属:法学部国際公共政策学科 海外プレ・インターンシップ助成

研修先:日米学生会議(アメリカ) 研修期間:2014年8月2日~24日

報告者:板倉美聡(法学部国際公共政策学科 B3)

1.準備編 きっかけは「この説明会、今日忙しいから代わりに行ってきて。」という友人の粗野な申し出だった。「気が向いたらね。」と軽く受け流しながらも、「第66回日米学生会議」というどこか重みのある見出しになんとなく惹かれて気づけば会場へ足を運び、そこできらきらと「人生の変わる夏」を語る実行委員達に出会った。学生会議終了後から控えていたアメリカ留学で最高のスタートを切るための絶好の機会と捉え、選考倍率の高さにむしろ挑戦心を煽られ、「受かれば儲けもの」という気持ちで申し込んだ。 選考では、書類審査、個人面接、グループディスカッション(日本語、英語)、教養試験と多くのタスクを課された。個人面接では、自分の将来の夢について語ったところいささか辛辣なプレッシャークエスチョンが飛んできた。今まで受けたどの面接より、”落とそうとしている”面接であるように感じた。論理的に筋が通っていたかどうかは置いておいて、「それでも私はこう思う。」と自信をもって(あるいは自信があるように振舞って)力説したところ、合格後に懇親会で面接官だった方にお会いした折、「この気の強い女の子は絶対に受かると思っていましたよ。」という言葉をいただいた。 グループディスカッションでは、独自の世界観を持ち、故にいささか難解な発言を繰り返すメンバーと、留学経験と外交分野での知識に豊富なメンバーと3人のチームを組んだ。個性の豊かすぎる3人がそろったこと、ファシリテーターをやりたい人物が私を含め2人いたことで、普段自分がやってきたペースでディスカッションが思うように進めらない局面も多くあった。しかし、時には議論をまとめ、時にはまとまりかかった議論に別の視点をもたらすことで妥協なく存在感をアピールした。この3人は、後に「人生を変える夏」を共に過ごすことになる。 2.実習編 実習編は、分科会活動とフィールドトリップに大別される。全体を通して (1)英語でのファシリテーションに挑戦する。 (2)誰よりも努力することでメンバーをInspireする。 という二つの目標のもとに活動してきた。 分科会活動では、「歴史教育とその社会的影響」というトピックを扱い、日本側4人、アメリカ側4人でチームを組み議論にあたる。日本側参加者は、5月の春合宿を皮切りにトピックについて自主的に勉強し、また週に1度のミーティングで学びを共有しながら進めていく。私の分科会は、私を含む2人が関西在住、もう2人と分科会コーディネーターが東京在住ということで、Skype会議を中心に進めていた。直前になると、それだけでは間に合わず、2週間に1度ほど東京まで足をのばして会議に向かうこともあった。分科会のメンバーは2年生2人と4年生1人と3年生の私に加えて院生の分科会コーディネーターがついた。「メンバーのキャラが濃すぎる」と噂の歴史分科会だったが、メンバー間は仲が良く、今でも大切な友人である。私自身は、3年生ともなると上級生の一員としてみなされるため、分科会では主に議論の舵取りを担当した。

OBを含めた本会議の様子 時間外の会議はとてもラフな様子で進められる

渡米後はアメリカ側代表の4人とアメリカ側コーディネーターを合わせ8人のチームになった。アメリカ側代表といっても、内訳はアメリカの大学に在籍する日本人、中国人、韓国人、アメリカ人と様々で、66回JASCきってのDiversityを誇る分科会となった。ここで直面したのは、やはり自分の思考力と思考の結果を表現する力のギャップ。発言の質とは、アイディアの質と表現力の掛け算によって決定される。すばらしいアイディアも、ゼロの表現力では外部に発信されることはなく、もちろんどんなに表現力があっても、アイディアの質がゼロでは相手にされない。伝えたいのに伝えられない、聞いてもらえない悔しさ・・そしてその度に自分を責めたり立ち止まったり、もう全部投げ出したいという衝動も多く経験した。 「美聡は本当にもったいないよね。」 うまく自分の力を発揮できなかった私に対して、メンバーから言われた言葉は、言いようのない悔しさと一緒に鮮明に記憶されている。 ファイナルフォーラムでは、「日本の右翼の伸張と歴史教育」という議題をとりあげ、10分間のプレゼンテーションを行った。自分の担当箇所の発表は難なく終えたが、最後の質問の段階でうまく自分の意思を伝えられなかったことに関しては、未だに思い出すと悔しくなる。 フィールドトリップでは、さまざまなフォーラムや研修に参加し、多角的に学識を深めることが目的とされた。その分野はあまりにも多岐にわたり、専門知識のない分野に関しては、ちんぷんかんぷんといった場合も少なからずあった。しかし、Google本社への研修、緑の革命の記念館、9.11の記念館、ネイティブ・アメリカンの居住区訪問など、JASCの名前があったからこそ、たくさんの経験を得ることができた。

バスの移動すら会議の時間に変わる。 こうやってみると左手前のメンバーは まったく私の話を聞いていない フィールドトリップでGoogle本社を訪問

3.振り返り編 私にとってのJASCは、”挫折と達成の混沌”である。超えられない言語の壁、伝えたいのに伝わらない思い。数多くの挫折体験の深淵に、私の努力を認めてくれたのが、同じ分科会のアメリカ側参加者の、この言葉だった。 「I think you are one of the most hardworking people I know and more important, you always have a positive and friendly attitude. I know that you will be successful in whatever you do in the future, and you will go on to help many people. I think that you are inspirational to a lot of people and feel lucky to have met you.」 個人目標の一つ目であった、英語でのファシリテーションは、残念賞といったところであろうか。しかし、”誰よりも努力することでメンバーをInspireする。”という二つ目の目標。これはある程度達成されたのかもしれない。 また、様々なバックグラウンドをもつ64人が、24日間仲間と自分に真剣に向き合い、濃密な時間を過ごすJASCでは、そのうち誰でもボロが出る。「第3サイトは人が変わるよ。」と私の分科会コーディネーターがいったように、日頃の疲れとファイナルフォーラムへのプレッシャーが重なる第3サイトではとくに、様々な感情が交錯し、時に爆発し、泣き崩れる人も多くいた。英語でアカデミックな議論を組み立て論理的に述べるのはもちろん難しい。でもそれよりも、自分の気持ちを母語でない英語で伝えるのはもっと難しいのだ。自分の価値観や気持ちというものは、その人の文化に根付いている。そして自分の価値観や気持ちを言葉にするとき、私たちは母語を使う。言い換えると、私が生きてきた21年間では、自分の価値観や気持ちは私の母語が表現しうる範囲においてのみ、それらとして認識されてきたのだろう。だから難しい。英語のディスカッションをうまくファシリテートできなかったことより、最終報告会で質問にうまく答えられなかったことより、目の前で泣いている友達にうまく自分の気持ちを伝えて励ましてあげられなかったことが、何より悔しかった。 4.生活編 生活面においては、”悲惨”という言葉が日米学生会議には似合う。もっとも忙しい最終報告会の直前は、睡眠時間が3日で5時間という日々もあった。特に、パワーポイントの作成を担当した私は、2時までディスカッションした後、5時まで個人ワークの時間という日もあった。また、「英語でのファシリテーションに挑戦する。」という私の学生会議での目的達成のため、『今日はどこがうまくいかなかった。』『明日はこの議論をどうやって組み立てよう。』と、個人的な振り返りや明日への準備に資する時間も必要とされた。 さらに、アメリカ国内の4ヶ所をまわる際、フライトの遅延の関係で、深夜2時ににやっと宿に到着したり、はたまた、早朝4時におきなければならなかったりする。連日のディスカッションに加え、フィールドトリップでは多種多様な研修先に繰り出すことになる。私自身、ウォール街へのフィールドトリップでは、立っているのがやっとだった記憶がある。これに加えて、個性豊かな仲間たちとの出会いは夜更かしに拍車を掛け、運よくタスクが終了し早くに寝られる日には彼らと語り明かすことになるのだ。 食事面では、大学の学食を利用したり、レストランでの食事をしたりとさまざまであったが、移動中はピザをたべることが多かったように思う。このピザが、絶望的にでかい。その後に1年間の留学生活を控えているにもかかわらず、すっかりアメリカンフードに疲れ果ててしまった私は食欲を失い、連日のハードワーキングも重なってみるみるうちに痩せていった。果ては5キロの減量に成功。人呼んでJASCダイエットと名づけよう。

フライトの待ち時間でさえ会議の時間に変わる 隙さえあればところかまわず睡眠をとる
タイムズスクエアにて カリフォルニア州の森。 観光、ホームステイの時間も若干ながら存在する
 
 
イギリス
 
The Big Issue 2013年10月15日~11月8日 所属:外国語学部外国語学科 海外プレ・インターンシップ助成

研修先:The Big Issue(イギリス) 研修期間:2013年10月15日~11月8日

報告者:外国語学部B4

パンフレット

『ビッグイシュー』という、ホームレスの人が道端で売っている雑誌をご存知だろうか?梅田や心斎橋、豊中キャンパスの近くだと豊中駅でも販売者が立っている。私はその雑誌を作り、販売者をサポートする会社「ビッグイシュー日本」でアルバイトをしている。2013年の9月に10周年を迎えたこの会社は、もともとイギリスのロンドンで1991年に始まった。 以前、本国のビッグイシュー(以下、TBI)は日本版(以下、BIJ)よりも多く売れていて、多くの人に知られていると聞いた。そのノウハウを日本に持ち帰るとともに、ホームレス問題をもっと追究したいと思い、インターンに応募した。 目的 1)TBIのビジネスを理解し、日本にアイデアを持ち帰ること 2)イギリスのホームレス問題を理解すること 3)TBIに貢献すること 準備 ・日本との比較をするため、また、向こうの人に尋ねられた時のために、ホームレス問題/ビッグイシュー日本に関するおおまかなデータをまとめておいた。 ・英語が心配だったので、毎朝BBCニュースを聞き、耳を慣らした。 ・バックパッカーとして海外には何度か行ったが、働きに行くとなるといつもより衣類が多くなった。 ・日本食が恋しくなる、あるいは栄養不足になるかもしれないと考え、20パック298円のみそ汁を買い、バックパックの底に押し込んだ。ロンドンで日本食が流行っていることもあり、結果として多くのスタッフと距離を縮めるきっかけになり大いに役立った。 ・忘れ物をしても、現地で買い足せばいいという気持ちでのぞみ、そのために働き始める4日前にはロンドンに入っていた。

事務所の玄関前

実際の業務 私が入ったのは、ストリートチームという販売者のサポートをする部局だった。サムという25歳の男性、ヘイデルという30代の女性と、学生が主体のボランティアと一緒に働いた。基本的には週5日で、平日のみ働いた。9時から16時が定時だったが、サムやヘイデルと同じように17時前後に帰ることが多かった。細かい仕事内容は、大きく3つに分けられた。 1.インダクション(毎日) 新しく来た販売者と話をして、なぜ売りたいのか、どこに住んでいるのかといったことを聞きとる業務で、様々なホームレス状態の人に「合法的に」質問をする貴重な機会だった。 2.ワークショップ(火曜10時・木曜14時) 4日間のトレーニング期間を終えた販売者を正式な販売者にするための聞き取りで、販売してみてどうだったか、売り上げ、販売のための具体的なアドバイスをした。 3.ビジット(毎日) 実際に販売者が立っている場所を訪れ、雑談をするとともに、しっかりと立っているかを知るものだった。ビッグイシューの仕事の基本は、販売者と話すことだという点で日本と共通していた。サムもヘイデルもとても話し上手でよく笑った。政治の話から下世話なジョークまで、話題の幅が広く、話していてとても面白かった。 ホームレスになる理由は十人十色で、いかに相手を傷つけずに、怒らせずに楽しく話をするかが課題だったが、1ヶ月という期間はやはり短かった。多くの人と打ち解けることができずに終わったが、無理に距離を詰めて感情を害するよりはその方がいいと思った。それでも数人の販売者とはとても懇意になり、スタッフすら知らない過去の話を聞くこともできた。 生活 ○宿の手配 1ヶ月の間、自分で手配したホステルに住んだ。Googleマップ宿泊施設をリストアップし、職場との距離、アクセス、値段を考慮した結果、南ロンドンのホステルになった。バックパッカーの時の経験から、ホステルによっては毎晩パーティーが開かれるようなところもあったので、初めの1週間のみ予約した。 ○ホステルについて 部屋は9人部屋と15人部屋だったが、基本的に静かで、夜中に物音で目が覚めることが数回あった程度だった。針金ハンガーやS字フックを持って行き、衣類をかけられるようにした。ホステルの1階がパブになっていて、宿泊客がそこに集まっていたので、友人も増えた。ホステルを選んだ理由のひとつは、職場以外の交友関係が欲しかったからで、これはとても上手く行った。パブにはチェスボードがあり、ホステルのスタッフ、飲みにきたおじさん、宿泊客らとともに興じた。セキュリティに関しては、鍵付きのロッカーがあったので貴重品はそこに入れた。人の出入りが激しかったので、部屋着にしていたハーフパンツをなくしたが、それだけだった。 ○食事 イギリスの食べ物は美味しくないと言われているが、その通りだった。私の泊まったホステルの唯一の欠点はキッチンがないことで、外食かスーパーで買ってきたものを食べていたが、「口に入ればいいと思っている」とフランス人に言わしめた味付けには本当に閉口することがあった。冷蔵庫もなかったので、生鮮食料品を買うことができずに、栄養バランスのとれた生活を送ることは難しかった。 ○気候 イギリスはよく雨が降り、日本より寒かった。また、ロンドンは空気が乾燥している上に汚かった(地下鉄に1度乗ると、タバコを1本吸ったのと同じくらい肺が汚れると言われた)ため、少し体調を崩したが、1週間もすれば慣れた。そういうこともあると考え4日前に到着しておいた。交通期間など、街になれる意味も込めて強くお勧めする。 ○治安 私は何も危ない目に遭わなかった。ホステルの場所も、昔は貧しい地域だったが、そういった地域がどんどん外に押し出されているようで、夜中にも普通に出歩くことができた。しかし、同僚の姉が強盗にあったという話も聞いたので、日本よりはやはり警戒する必要があるだろう。特に大きな荷物を持っているときは気を引き締めた。 費用 ロンドンの物価は高い。特に私が訪れた頃は、住宅が足りずに住宅価格がバブル化していることが問題視されていた。それに伴って宿泊費も高く、ロンドンで最安値と言われている私のホステルが1泊12ポンドだった。円安の影響もあって、2000円近くを1ヶ月に渡って払い続けた。交通機関もとても高かったが、職場から1週間乗り放題のチケット(30ポンド)を支給してもらった。また昼食代として1日あたり3.50ポンドを支給してもらい、とても助かった。一度の食事で4-5ポンドほど使った。こうした話はインターンの受け入れをお願いする立場から切り出すことが難しく、来るまで分からなかったが、しっかりと話しておくべきだった。航空券は限度額ギリギリの15万円弱で、もう少し早めにとれば安くできたかもしれない。トルコ航空を利用し、イスタンブールで飛行機を乗り継いだ。 費用概算(支給分を無視) 宿泊費 2,000円(1日)×30=60,000円 食費 1,200円(1日)×30=24,000円 航空券 148,000円 航空券、交通費や食費支給分を差し引いて、交際費をいれると10万円弱を自費でまかなった。

同僚ふたり

振り返って ロンドンは気に入った?とよく聞かれたのだが、正直に言うと街としてはあまり好きではない。大きな街としてはパリの方が綺麗だし、雨ばかりで寒いので、どうしてもどんよりした気分になる。でも、そこに住むひとはとても多様で、こんな街を知ることができて良かったと思う。現地の人がよくDiversityという言葉で表す、色々な国の人が当たり前に共存している様子は、日本に育った私にとってとても新鮮だった。ビッグイシューのオフィスの様子はまさにDiverseで、例えば、サムはスリランカ系のイギリス人、ヘイデルはコロンビア人、肌の色も皆違って、日本人が1人来たところで、だからなに?という感じだった。その分普通に英語を話さなくてはならない。多くの人は手加減してくれることもなく、特にネイティブ同士が話しているとついていけず、ほぞを噛むことが何度もあった。しかし、事務的な仕事に関してはビッグイシュー日本と基本的には変わらないので、特に苦労はなかった。 次に、最初にたてた3つの目的が達成できたか、1つずつ見てみたい。 1)TBIのビジネスを理解し、日本にアイデアを持ち帰ること 日本に持ち帰りたいアイデアはたくさんあったが、最も感心したのはほんの半年前から始まった、ディストリビューションポイントというシステムだ。これは信頼できるベテラン販売者に地域一体の販売者への卸し業務を任せてしまうというものだ。その利点は、まず現地までの配達コストが省けること、新しい販売者がホームレスという同じ立場の人からアドバイスをもらえること、そして何より会社の中にも自立に繋がる「はしご」があることだ。 ディストリビューションポイントの管理者のひとり、Bさんは、来年からNHS(日本でいう厚生労働省)で、適切な治療を受けてくれないホームレスの人たちを引き留めるための相談役として働くことが決まっている。一度ホームレス状態になると、再び立ち上がることは難しく、複数の壁を一度に乗り越えなければならない。例えば住所や保険がない問題、職歴に穴があいたこと、そして何よりも「自信」だ。そういう意味で、ビッグイシューがホームレス状態から脱出するための一歩目であることに次いで、二歩目があることは大きな意味がある。経済的、キャリア的なステップアップという意味に加えて、「自信」を取り戻すことができるだろう。私はまだ始まったばかりのこのシステムをBIJに紹介しようと思う。 2)イギリスのホームレス問題を理解すること 毎日ホームレス状態の人と接していると、自ずと分かってきたことがたくさんあった。例えば、イギリスのホームレスには移民がとても多く、ほぼ単一民族からなる日本とは大きく異なった。しかし、もし日本において移民の受け入れがさかんになったらと考えると、ロンドンの状況は未来を暗示しているようだった。特にロマの割合が多く、オフィスの一部もルーマニア語に対応していた。副専攻のスペイン語を活かす機会があるかと楽しみにしていたが、英語だけを使うようにと注意された。ロンドンで生きていくためには、言語を学ぶことが不可欠なので、一度母国語が通じると分かると甘えて来る人がいるためとの説明を受け納得した。 他には、やはり日本と同様にやむを得ずにホームレス状態に甘んじている人もいると知った。個人的にインタビューをしたAさんは翌年から博士課程への進学が決まっている。だが、20年ほど前に、いったん陥ると社会保障を享受できない制度のポケットに入ってしまって以来、安定した生活を得られずにいる。スタッフが口を揃えて、「ホームレスになるべき人じゃない」という人が販売をしている姿を見て、社会の方に問題があるのではという疑問を持たずにはいられなかった。 総括すると、全てを理解するにはとても忙しく、前もって本や論文を通じて予習しておけばよかったと少し後悔した。これから復習という形で取り返そうと思う。 3)TBIに貢献すること 日々の事務作業は卒なくこなしていたものの、あまり貢献できているという実感がなかった。しかし、最後のミーティングでマネージャーに「毎日来てくれて、わたし達のビジネスに対して並々ならぬ興味を持ってくれたことだけでも、日々のルーティンとなってしまいがちな仕事に誇りを取り戻してくれた」と言ってもらい、気が楽になった。3週間の仕事ぶりを見て、あなたがよければ雇うこともできると言ってもらったことは最高の賛辞だった。また、部局が少し問題を抱えていて、それに関しての意見がマネージャーを助けたようで、私が来たことはTBIにとって無駄ではなかったと実感することができた。 おわりに 今回貴重な機会をいただいたGLOCOLの方々に改めてお礼を申し上げたいと思います。費用面でのバックアップだけでなく、目的を持つことの大切さを数回の面接を通じて教わりました。私のレポートがインターンに行かれる方の参考になることを願います。

事務所内1
事務所内2
事務所内3
事務所内でBIについて説明する上司のヘイデル
滞在先のホテル
ホテルでは毎晩チェスに興じました
イギリスで一番おいしかった Nando’sのチキン
定番のフィッシュアンドチップス
自分で作れば安く美味しい
夜の事務所

 

 
 
サリー州セカンダリースクール »»報告書へ 2016年2月22日~3月18日 所属:人間科学研究科人間科学専攻 海外プレ・インターンシップ助成  
 
 
 
出所:大阪大学グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)海外体験型教育企画オフィス(FIELDO)

 

他のページへ02 03 04 05