安藤由香里 Droits des l'homme

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渡瀬淳一郎 さん

大阪赤十字病院救急科/国際医療救援部、ウガンダ・カロンゴ病院

インタビュー:安藤由香里

2015年4月7日 メールのやりとりにて

1.所属していた学部学科はどこですか。 医学部医学科 2.今の仕事の概要とやりがいを教えてください。 日本では大阪赤十字病院の救急科と国際医療救援部に所属しています。 災害救援や開発事業に関連した業務を行う国際医療救援部は、赤十字ならではのユニークなシステムで、当院では国内、国際双方の救援を管轄しています。従って平時は国内災害に対する準備や訓練を行うとともに、国際救援に関する勉強会などを催行し次回の派遣に備えています。 この文章を書いている2015年4月現在、ウガンダの北部、カロンゴにある病院での支援事業に4ヶ月間の予定で日赤から派遣されています。地域人口70万人に対する唯一の病院の唯一人の外科専門医として、若手ウガンダ人医師を育てながら、現地の医療を支えるのが目的で、5年前から継続的に支援がなされています。 患者さんの多くは状態が非常に悪くなってはじめて、遠くの村から何時間もかけてやってきます。待ったなしの状況の中で日赤の外科医に求められているものは非常に大きく、やりがいを感じながら日々多くの手術を行っています。 3.今の仕事を志した原体験は何ですか。 高校の時、一冊の本を読んだのがきっかけです。宮崎亮医師がご自身のアフリカでの診療経験を綴った『密林の生と死と愛』新教出版社、1972という本でした。折しも当時、日本でも初めてアフリカの飢餓難民がクローズアップされた時代で、お腹がふくれやせこけた子供が亡くなっていく写真を見て同じ地球上で自分とこんなにも境遇が違う人々がいることに衝撃を受けました。宮崎先生の本を読み、自分も医師としてアフリカの人の役に立ちたいと思ったのがきっかけです。 4.阪大時代に心がけたことや積んだ経験で役立っていることはありますか。 3回生終了時に1年休学し、オーストラリアの中学校、高校で日本語教育の補助教員の仕事をしました。家庭教師をしていた先のお祖母様が神戸日豪協会の理事をやっておられて声をかけてくださいました。現在どうかは知りませんが、当時は休学中の学費は払わなくてよかったので、親のすねをかじっていた私にとっては渡りに船でした。この経験で最も強く心に残ったことは、日本でのモノの見方が世界のスタンダードでは決してないということ、人の考え方は一様ではなく、色々な考えを互いに表現し尊重しあうことが大事だということです。他にも中国やインドなどへの海外旅行は視野を広げてくれました。 5.卒業後、どのようなステップを得て現在の職についていますか。 まずは一人前の外科医となってアフリカに行きたいと思いました。阪大第一外科に入局後、5年間、大学や関連病院で研修を積み、その後特殊救急部(現在の高度救命救急センター)に籍を移しました。理由は途上国での医療の際に幅広く診療できる力を身につけたいと思ったこと、また救命救急の世界で生死に敏感な感覚を培いたいと思ったからです。その後、足掛け16年間に渡り、阪大の関連救命救急センターで救急専門医として働きました。この間、東日本大震災をはじめとして国内外での災害医療に関与してきましたが、なかなか長期的な支援をする機会はありませんでした。2014年4月よりご縁あって大阪赤十字病院にお世話になり、はじめてまとまった時間をかけた支援に取り組ませていただいています。 6.後輩へのエール アフリカでの仕事を志してから30年かけて、ようやく今現地で仕事をする機会を得、大変嬉しく思っています。この間、焦る気持ちもありましたが、医師という仕事は幸い目の前の患者さんの命を預かる時点で十分やりがいのある仕事なので、これまでの時間が無駄だったとは決して思いません。寧ろ様々な経験を経てきたからこそ、力を発揮できることもあります。 どんな仕事でもそうですが、まずは腐らずに今与えられている仕事を一生懸命やることがとても大事です。それは間違いなくあなたの糧となります。そして夢をぶれずに持ち続け、その夢をいつも周囲に話してきたことで、私の我儘をご理解いただいたり、色々な方とご縁が生まれてきて、今に至ったというのが私の経緯です。 そしてチャンスが巡ってきた時には躊躇せず飛び込んでみてください。迷う要因の多くは、あなたの夢に比べればとるに足らないものです。  

 
Message from 阪大OG/OBシリーズ(4)
 

林 若可奈 さん

国際協力機構(JICA)ニカラグア 青年海外協力隊 青少年活動隊員

インタビュー:安藤由香里

2013年11月9日 メールのやりとりにて

1.所属していた学部学科はどこですか。 人間科学研究科 グローバル人間学専攻(国際社会開発論)博士前期課程修了 2.今の仕事の概要とやりがいを教えてください。 青年海外協力隊の青少年活動隊員として、ニカラグアの首都マナグアで活動しています。 配属先は、首都マナグアにおいて特に薬物中毒、性的虐待、性依存症、家庭内暴力などの高い社会的リスクにさらされている青少年(子ども・少年・青年)に総合的なケアを行うNGO(2000年設立)です。保護対象者はメルカドオリエンタルと呼ばれるニカラグア最大の市場に居住する者、その他の最貧困地区に暮らしている者、家族による暴力等の被害を受けている者などの健全なケアを受けることができない、およそ10歳から30歳までの青少年で、彼らの人権、生活、成長を守りエンパワメントするために、フェーズ1(動機づけ)、フェーズ2(教育・訓練)、フェーズ3(労働市場への参加準備)の3段階のフェーズに分け、ケアを行っています。 要請内容はフェーズ1における手工芸の技術向上、基礎教育・情操教育、スタッフのキャパシティビルディングなどですが、今はいろいろな現場業務の補助とアクセサリー作りの指導をメインで行っています。フェーズ2の手芸クラスでも週2回教えています。今の仕事を言葉で説明するのは難しいのですが、基本は一人ひとりの青少年と向き合い、寄り添い、一人の人間として関わることであり、それが最も大事な仕事だと考えています。 薬物使用者や虐待、暴力の被害者などと聞くと、多くの人は怖い、危険、大変などといったイメージを持つかもしれません。実際、ニカラグア国内でさえ、見た目やイメージゆえに敬遠され、粗雑に扱われがちです。しかしそれらのイメージの背景には、不安定な社会基盤、社会システムや学校教育の質の低さに起因する多くの困難な問題があり、彼らはそのしわ寄せを受けているだけだと言えます。確かに関わるのは簡単なことではありませんが、だからこそ彼らを一人の人間として扱い、真剣に向き合い、関わってくれる大人の存在がたいへん重要になります。周囲の大人が真剣に向き合おうとしても、社会の周縁で生きてきた彼らは独自のコミュニケーション方法を持っており、一筋縄ではいかないことも多くあります。中にはひどい扱いをされ続けたがゆえに、人間関係・信頼関係を構築する大切さを理解できない子どももいます。ニカラグアは概して愛情深い国なのですが、同時に暴力も蔓延しています。特に親や周囲の大人からのネグレクトや暴力行為によって深く傷ついている青少年たちは、自分の人生も他人の人生も粗末に扱いがちです。それでもそんな彼らの変化を諦めずに、愛情を注ぎケアし続ける大人たちの存在が、彼らを少しずつ変えているように思います。 私の活動に関して言えば、今は言語が足かせになり悔しい思いをしてばかりですが、試行錯誤しながら彼らと関わっています(笑)。正直言って嵐のような毎日で、辟易することもありますが、彼らの温かさに触れたり、ちょっとした変化や本来の輝きが見えたりしたときはとても感動しますし、一方で、ふと見せる諦めのような表情に心が苦しくなることもあります。 悲しい出来事が一つでも減るように、一人でも多くの若者が人生を切り拓いていけるように、この2年間しっかり寄りそって、精いっぱい関わりたいと思っています。 3.今の仕事を志した原体験は何ですか。 元々、大学で国際協力を学ぶ中で教育開発に関心を持ち、いずれその分野で働くことを志していました。しかし、卒業後に就職した先は、日本において社会的リスクにさらされた少年少女が多く集まっている通信制高校でした。その選択は私自身が青少年の頃に家庭の問題で苦労したことに起因していると思うのですが、そこでの経験が今の仕事につながっています。 日本社会で様々な壁にぶつかりながらも精一杯もがいている青少年たちに出会ったことで、「青少年が自分の人生をいきいきと生きていける社会をつくりたい!それこそが社会を強くするはずだ」と強く思うようになりました。それ以降、私は自分の人生を青少年の未来づくりに捧げることに決めました。 将来的には日本・海外にこだわらず、社会的リスクにある青少年と関わる仕事に携わりたいので、海外での現場経験を積むために今の仕事を志しました。 4.阪大時代に心がけたことや積んだ経験で役立っていることはありますか。 博士前期課程在籍中には、高度副プログラムを利用して、学際的に様々なテーマを学ぶよう心がけました。阪大のように横断的に学びを広げることができる大学はそんなに多くないのではないかと思います。視点を多く持ちたかったので、その機会を有意義に利用することにしました。 専門分野の関係で、特にGLOCOLの授業をいろいろと履修していたのですが、そこから学んだことが本当に多かったです。国際機関で活躍されてきた方、今でも現場でフィールドワークをされている方、ご自分の団体の生きた現場トークを聴かせてくださる方など、多様な経験を持った先生方の多様な視点からの授業があり、どれも刺激的で貴重なものでした。中でも、人類学的な問いかけにはたくさん考えさせられました。一方通行ではない国際協力を目指す中で、今、目の前にあることを「問い続ける」ということは重要です。他の学科の学生と多角的な視点から議論したことも、大変刺激的でした。それらの授業は、大きく視野を広げ、頭を柔らかくしてくれたと思います。 それから、自分の研究地であるカンボジアでのフィールド調査だけでなく、指導教員のフィールド調査に随行してマレーシアの先住民の生活を体験したことは、貴重でした。また、M2の時にはGLOCOL海外フィールドスタディでフィリピンにも行き、国際機関の訪問、先住民の生活体験、セミナーでの英語によるプレゼンの機会を得ました。 こうしたフィールドワークで得た見識と経験、そしてなにより人との出会いやつながりは、世界をどう受け止めるのかという感覚を大いに変えてくれたと思います。色々な場所でたくさんの人々に出会いました。出会った人が日本にいる友達の友達だったことや、後々、以前阪大に留学していたことを知ったなんてこともありました!そのように、知っている人が違う場所で生きているという現実が自分にとっての世界を近づけてくれました。「国際」とか「グローバル」という言葉の響きは、大きなこと、遠いことのように聞こえることもありますが、実際は同時進行で動いている、同じ世界の、友達が生きる身近な「今」のことでもある、そのことを体感できた体験だったと思います。 5.卒業後、どのようなステップを得て現在の職についていますか。 マスターを修了したものの、希望するような青少年問題の仕事に携わるには、海外での現場経験が足りない、と感じていました。経験上、現場を知らなければ良い仕事ができないと考えているからです。そこで、現地の人たちの視点で現場に関わることができる青年海外協力隊に応募することにし、応募する間の1年間は、ご縁のあった豊中市役所で在住外国人市民の方たちのための施策作りや生活支援に携わることになりました。 自分が「外国人」になる前に、「外国人」の方々の目線で生活上の困難や人権問題、教育や社会活動における不自由さなど、外国人であるということによって持ちうる障壁について知れたのは、有り難いことでした。現在の生活の様々な場面で、目の前で起こる出来事を理解するのにとても役立っています。 6.後輩へのエール 青年海外協力隊は仕事ではないと言われることもありますし、国際協力学で大学院を出て選ぶ現場として適切かどうかと問われることも、正直言ってよくあります(笑)参加するまでは私自身の中にも迷いがありました。しかし、極めて困難な社会状況を前に10年以上も青少年に向き合い、困難と取組み続けている今の職場のスタッフたちに出会い、彼らと同じ目線に立って共に働きはじめてみると、協力隊として来て良かったなと思うことがたくさんありました。特に言語についてかなりしっかり教育されるので本当にありがたかったです。というのは、大学院でのフィールドワーク時にいつも、相手の言語ができないと調査をしてもその成果はとても小さいと感じていたからです。互いに母国語以外でのみコミュニケーションしていると概念的に伝わらないことがたくさんあるので、援助者として、相手側の母国語で話をすることは大事だと思います。言語を強化しながら、現場の業務を学び、現場の目線でのニーズを探ることができるのは、この先も国際協力の仕事に携わるにあたって貴重な経験となるだろうと思います。 「一人の人間が大きな変化をもたらす」というのは、日本にいようが世界のどこであろうが稀なことですが、たった一人であっても周囲に何らかの影響を与え得るものです。そして、与えた影響がどんどんつながって社会が出来ていきます。だからこそ、これまでに学んできたこと全てを自分の基盤に変えて、良い影響を与えられるような仕事をすることが結果的により良い社会を目指すことにつながるのではないかなと思います。今のところ、阪大での経験には、感謝することばかりです!  

Message from 阪大OG/OBシリーズ(3)
本田英章 さん

本田英章 さん

ジュネーブ国際機関日本政府代表部 書記官

インタビュー:安藤由香里

2013年11月1日 メールのやりとりにて

1.所属していた学部学科はどこですか。 法学部法学科(2005年卒業) 2.今の仕事の概要とやりがいを教えてください。 日本政府の在外公館の1つである在ジュネーブ国際機関日本政府代表部において外交官として勤務し、国際機関で働く日本人を増やすための施策を実施しています。具体的には、外務省が実施するJPO制度(若手の日本人を国際機関に2年間派遣し、その間に正規ポスト獲得に向けて取り組んでもらうもの)のジュネーブにおける運用、欧州における学生向けの説明会の開催、日本人増強に向けた各国際機関人事部との協議などを担当しています。 私はこれまで東京の霞ヶ関でしか勤務をしたことがなかったので、あまり組織外の人と仕事上密接に関わるということはなかったのですが、現在のポストにおいては、常日頃から各国際機関の人事担当者を訪問して情報収集をしたり、実際に国際機関のポストに応募した日本人の方から相談を受けたり、国際機関を目指す学生に直接アドバイスをしたりと、非常に人とのつながりが多いため、日々やりがいを感じています。(写真右:英国での説明会の様子) 3.今の仕事を志した原体験は何ですか。 私は学生時代は国際的な仕事をしたいとは特に考えたこともなく、むしろどちらかというと関心が薄いほうだったのですが、より広いフィールドで自分の力を試してみたいと思い国家公務員になったところ、人事の御縁があって今の仕事に就くことになりました。ですので、原体験というものは特にないのですが、敢えていうなら、国際感覚を持った国家公務員育成の重要性が各方面から指摘される中で、それが実際に何を意味するのかということを、自分の目で確かめてみたかったという思いはありました。 4.阪大時代に心がけたことや積んだ経験で役立っていることはありますか。 私は阪大時代はあまりまじめな学生ではなく、アルバイトやサークル活動ばかりやっていました。ただ、漠然と自分の選択肢を狭めたくないという思いがあったため、法学部に入ったものの六法系の代わりに政治系の授業を受けてみたり、国際法のゼミに入ってみたりしました。私の周囲は早いうちから司法試験予備校に通って弁護士を目指すような人達ばかりだったので、当時は完全に浮いていたと思います。国家公務員になろうと思ったのも、周りが比較的地元志向だったので逆に自分は東京に出てみようという、あまのじゃく的発想がきっかけだったように思いますが、今思えば、そこで自分の進路を関西に限定しなかったことが、巡り巡って現在のジュネーブ勤務にまでつながっているわけですので、人生不思議なものです。そういう経験を踏まえると、取りあえず人と違うことをしてみるというのは、自分の世界を広げる第一歩なのかもしれないと思っています。 5.卒業後、どのようなステップを得て現在の職についていますか。 卒業後、人事院という、国家公務員の採用試験や人事制度を所管する組織に採用されました。そこで国家公務員の給与制度を担当する部署で2年間勤務した後、厚生労働省に出向し、ワークライフバランスを推進する部署で2年勤務しました。その後再び人事院に戻り、国家公務員の採用試験制度の改正、人事評価を活用した昇任制度の運用などに約3年間携わった後、2012年より、現在の外務省の在ジュネーブ国際機関日本政府代表部のポストに就いています。 6.後輩へのエール 今の阪大生の皆様がどうか分かりませんが、私の学生時代は、阪大生はかなり地元志向、関西志向という印象で、民間企業の就職であっても、積極的に関西外に出る人は少なかったように思います。現在はグローバルコラボレーションセンターもできて、阪大から海外へ、という道もますます開けてきていることと思いますが、ぜひ、これからの阪大生にはもっともっと日本及び世界の中心で活躍していってもらいたいと思います。いきなり海外でなくても、まずは東京に出る、というだけでも視野が格段に広がり、自分の可能性がどんどん開けてくることと思いますので、積極的に外に目を向け、チャレンジしていってもらいたいと思います。  

Message from 阪大OG/OBシリーズ(2)
服部あさ子 さん

服部あさ子 さん

国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)ジュネーヴ本部 人権担当官

インタビュー:安藤由香里

2011年12月13日 OHCHRジュネーヴ本部にて

1.所属していた学部学科はどこですか。 法学部、国際公共政策研究科(OSIPP)博士前期課程を経て、後期課程は単位取得退学です。OSIPPでは村上正直ゼミに所属していました。 2.今の仕事の概要とやりがいを教えてください。 OHCHROHCHRでは、事務所の調査研究・政策立案を担当する部署に所属し、経済的・社会的・文化的権利を担当するチームで、食料への権利及び土地と人権を担当しています。主な職務内容は、(1)国際的な課題(たとえば世界規模の食糧危機など)の人権の視点からの分析・調査・研究、(2)出版物、報告書、ツールの作成、経済的・社会的・文化的権利全般に関するキャパシティ・ビルディング、(3)国際条約、ガイドライン等の政府間交渉へのサポート、(4)専門家会議の企画・運営等です。 扱っている分野が比較的新しいため、具体的にどのような対応が必要かを開拓していくことができるのがおもしろいです。チームワークが好きで、現在の部署ではチームメートに恵まれているのでやりがいを感じています。 3.今の仕事を志した原体験は何ですか。 人権に関わる仕事がしたかったからです。たまたま、それが国連であっただけです。高校生のころ、文化人類学に関心があったので、阪大で法人類学の講座を学ぼうと入学したところ、教授が退官してしまいました。そこで、法律の中で「人」に一番近い人権を選びました。 4.阪大時代に心がけたことや積んだ経験で役立っていることはありますか。 国際学生協会に関わって、学生交流で学部時代にオランダ、韓国へ行ったところ、面白くなってしまいました。そしてユネスコユースプログラムにも参加しました。学部と修士課程で日本の戦争責任と人権の問題を研究していたので、博士課程に入ってから、日本の枠組みを越えて視野を広げたいと思い、イギリスのエセックス大学国際人権法コースに留学しました。エセックス大学で良かったのは、すでに実務経験の豊富なクラスメートがたくさんいたこともあり、人権規範の実際の適用に関する興味が広がり、また実務に関する人的ネットワークを築くことができたことですね。 5.卒業後、どのようなステップを得て現在の職についていますか。 最初に、ジュネーヴの国際労働機関(ILO)本部で6ヵ月インターンをしました。半年後、ILOで臨時非正規雇用の仕事を数ヵ月した後、2001年に世界保健機関(WHO)で短期の正規雇用として働き始めました。WHOでは、最初ジェンダーと女性の健康を担当する部署に所属し、その後、健康と人権の部署に異動しました。2007年からOHCHRで働いています。ライフワークバランスに関心のある人もいると思うので、仕事と私生活・家族生活の両立について少しだけお話します。国連には、上司との合意があれば在宅勤務やフレックスタイムでの勤務ができるシステムなどがあり、家族を持っても働き続けることが可能な一定の環境が整っています。もちろん、これは勤務地・業務の内容によって異なり、家族同伴では赴任できない任地もたくさんありますが。同僚には夫婦共働きの人も(ともに国連職員という人も含めて)たくさんいます。ただ、転任や出張が多く、雇用契約も終身雇用ではない場合の方が圧倒的に多いので、家族を伴っての人生設計も、ある程度のフレキシビリティーが求められます。また、男性も女性も積極的に家族生活の維持に貢献することが必要だと思います。同僚には、女性がキャリアの追求を選択し、男性が主に家庭でのサポートにまわることを選択しているカップルや、我が家のように夫婦の双方がフレックスタイム、在宅勤務などを取り混ぜて均等に子育て・家事の担当をしているカップルなどもいます。 6.後輩へのエール 私は、一番大切なのは、自分が楽しめて幸せだと思える人生を送ることだと思っています。人それぞれ、どういった生き方が合うかは異なるでしょうし、楽しい人生というのは楽な人生とは限りませんが、チャレンジや不安定要因やしんどいことはあっても、全体として楽しめることが上回る人生を送るというのが大事ではないかと思います。また、仕事だけではく、私生活も含めて楽しめることが大切なのではないでしょうか。特定の時点でやりたいことが明確にならないこともあるかもしれませんが、様々な選択肢を得る過程で、そのつど自分の生きたい生き方を問い直し、必要であれば目標を修正することも含めて判断をしていくことで、全体として納得できる生き方ができるのではないかと思っています。  

Message from 阪大OG/OBシリーズ(1)
安國良平 さん

安國良平 さん

パリ第7大学 化学研究ユニット ポスト・ドクター

インタビュー:安藤由香里

2011年12月20日 パリ第7大学研究室にて

1.所属していた学部学科はどこですか。 工学研究科 精密科学・応用物理学専攻 民谷・朝日研究室 2009年3月博士号取得 2.今の仕事の概要とやりがいを教えてください。 パリ第7大学現在、私は非常に弱い光にも反応する新しい光応答性材料の開発に向けて、フォトクロミック分子と貴金属のナノ粒子を組み合わせたハイブリッド材料に関する基礎研究を行っています。フォトクロミック分子とは光で分子の性質が変化する機能性分子です。例えばジアリ-ルエテンという分子は紫外線を照射することで分子に色が付き、可視光を照射すると色が消えて透明になります。このような分子を使うと光で制御可能なスイッチを究極的には一つの分子で構築することができ、将来は超高密メモリや分子コンピューティング等への応用が期待されています。また貴金属のナノ粒子には光を集めるアンテナのような効果があり、効率よく光のエネルギーを利用することが可能になります。ハイブリッド材料の作製手法はもともと現在所属する研究室で開発されたものですが、作製した材料の評価は阪大の博士課程時代に培った顕微分光の技術を用いています。 安國良平 さんフランスでの研究における利点は、まず日本とは全く異なる研究環境で自身の成長が促されることです。多言語でのコミュニケーション能力が鍛えられることもそうですが、西洋では若手研究者でも各分野の専門家として教授と対等に近い関係で意見を求められることが多くあり、自らが果たす責任を強く意識させられました。プレッシャーは大きくなりますが、議論を重ねながら自分の考えを深化させ、それが結果へと結びついたときには大きな達成感があります。またフランスでは仕事とそうでない時間のメリハリがはっきりしており、特に夏季のバカンスでは2週間以上も完全に仕事から離れます。研究以外にも自分の時間を十分とることで自分の専門のみに偏ることなく様々な視点から自分の研究を考えることができるように思います。 3.今の仕事を志した原体験は何ですか。 大学に入学した当初は、企業、大学を含めて漠然と研究職を志していました。もともと博士後期過程へ進学するつもりはありませんでしたが、修士1年の時、研究室にいたフランス人留学生の紹介でフランスに半年間留学したことが現在の仕事に就いたきっかけです。留学の際には、阪大の工学部から魚本国際奨学金をいただきました。当初は研究のためでなく、海外経験として行きたかったのですが。実際にフランスで生活する中で視野が大きく広がり、新しい自分の価値観の中で研究を真剣に考えるようになりました。もしフランスに留学しなかったら修士課程を終えて就職していたかもしれません。 4.阪大時代に心がけたことや積んだ経験で役立っていることはありますか。 修士課程に在籍している時から興味があることにはとりあえず、その中へ飛び込んでみるということを心がけていました。海外留学もそうですが、ベンチャー企業での手伝いや、学生団体としてイベントを開くなど、具体的な行動の中で得たものは大きかったと思います。 5.卒業後、どのようなステップを得て現在の職についていますか。 阪大で1年間ポスドクを行い、2010年4月からフランスのカシャンで6ヵ月間、その後2010年10月から現在の研究室にいます。 6.後輩へのエール 周りを気にせずにやりたいことをやってください。私は工学博士から研究者という一般的な進路を選択しましたが、選択の過程ではベンチャー企業への就職やジャーナリストなども検討しました。進路の可能性は企業のリストや誰かが通ったキャリアパス以外にも無限にあると思います。新しいことや環境に挑む際には常になにかしらの不安やリスクがありますが、漠然とした不安やリスクの正体をよく見極めた上で、能動的な選択をすることが重要だと思います。
 
出所:大阪大学グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)海外体験型教育企画オフィス(FIELDO)